五斗長の玉葱には甘みと栄養がずっしり。
「まるご」というその愛称には、地域に脈々と受け継がれてきた先人たちの努力や思いがいっぱいに詰まっています。
山と海とお日様と恵みの雨と。 おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてヤギたちまで。
みんなでいっしょにつくる五斗長いちばんの自慢「まるご玉葱」をぜひ一度味わってください。
元来お米作りには適さない砂質系の土壌を
長年の努力によりつくりあげた肥沃な五斗長の大地は、
冬のきびしい西風が運んでくるミネラル分を豊富に含んでいます。
そんな豊かな土と潮風が、栄養満点の甘みの濃い玉葱を育みます。
水はけのよい棚田地形での栽培のため、
実のしまりがよく長期保存可能です(中生・晩生品種)。
玉ねぎの一大産地として知られる淡路島内にあって、
五斗長産の玉ねぎはとりわけ信頼のブランドとして
「まるご」という愛称で長らく親しまれてきました。
五斗長の「五」を丸で囲んで「まるご」。
戦後まもなくの頃からはじまった
「まるご出荷組合」の出荷袋に記されたマーク。
五斗長生まれの玉ねぎの大切な印です。
営農化した五斗長のまずはじめの取組みとして、
約20年前の出荷組合の活動停止とともに風化しつつあったこのマークを、
大阪のデザイン会社「graf」の協力のもと復活させました。
淡路島の玉葱畑の風景にはなくてはならない「玉葱小屋」。
小屋の中に玉葱を吊るし、じっくり自然乾燥させることで、
淡路島の玉葱ならではの濃厚な甘みが熟成されます。
五斗長営農では、生産した玉葱の一部を
この伝統の方法で乾燥させていました。
昔ながらの本葺きの瓦はもちろん淡路瓦です。
地元の天然素材で葺かれた屋根、ダークブラウンで統一された
小屋の色が五斗長の自然豊かな風景と溶けあいます。
玉ねぎにもいろいろ種類があって、
それにあった保存の仕方や調理法があることをご存知ですか?
4〜5月に収穫される、通称「春玉葱」。
春玉葱(新玉葱)は、瑞々しく苦みも少ない生食用の玉葱です。
生でもびっくりするほど甘くみずみずしいので
スライスしてサラダにして召し上がってもかんたんでおいしいです。
痛みが早いので、ひとつづつ紙に包んで冷暗所で保存します。
「中生(なかて)」や「晩生(おくて)」は、大器晩成タイプ。
玉葱小屋でゆっくりと乾燥した飴色の中には肉厚の身がぎっしり。
加熱すると、より一層甘味が際立ちます。
風通しのよい場所でつるしておくだけで熟成し味が深まります。
炒めたり、ピューレにするなど加熱調理が向いています。
地域一丸となってさまざまな事業を進めてゆく中で、
農村集落である五斗長の未来を考えたとき
主幹産業である農業を将来的に持続させていくために
個人個人の農業ではやはり限界があります。
ならば集落みんなで農業を行なうのが良い方法ではないかということで
株式会社五斗長営農」を設立し、集落営農がスタートしました。
現在、五斗長では地域全体が「五斗長営農」という
ひとつの会社の一員として協力し合って、日々の農作業をすすめています。
草むしりのおばあちゃんまでが村の仕事の大切な一員。
そんな働き方が、五斗長のみんなの仲良しで人懐こく
オープンな気風によくあらわれています。
みんなでつくるから、みんなでうれしい。
現在の五斗長をひっぱる世代のチームワークの秘訣。
それは半世紀以上も前、みんなが子どもだった時代までさかのぼります。
子どもたちで寄り集まってソフトボールチームを結成、
隣の集落などと対抗試合を行なうだけでなく、
練習や広場の清掃まですべて大人に頼ることなく運営していました。
その何十年後、だんじり唄奉納のための青壮年会の結成が、
メンバーの絆をさらに強いものにしました。
唄の練習だけでなく、世間話のなかに集落のことや農業のこと、
これからの五斗長について語り合う場がごく自然に生じてきました。
そんな折、発生した2004年の大きな台風災害。
復旧・復興を話し合う場の中心には、
かつてのソフトボール少年たちがいました。
「やるなら今」と、安心安全に暮らせる住み良い地域にしたいという
みんなの思いが、具現化に向けて動きはじめた瞬間でした。